――沖縄とロシアの関係も大変興味深いものがあります。

 

「行商人」

 

ロシア民謡

編曲=V.ディチェリ

モスクワ・クァルテット (ピアノ=ラリーサ・ゴトリヴ、バラライカ=ヴァレリー・ザジーギン、ドムラ=アレクサンドル・ツィガンコフ、グースリ=インナ・シェフチェンコ)

宮古島とニコライ・ネフスキー

                 宮古研究の先駆者であるロシア人言語・民俗学者ニコライ・ネフスキー(1892~1937)は、ロシアの中心部、母なるボルガ河畔のヤロスラヴリ市で生まれ、ペテルブルグ大学東洋語学部で日本学・中国学を学び、1915年(大正4)に官費留学生として来日しましたが、ロシア革命のために帰国できず1929年(昭和4)まで日本で研究生活を送りました。この間、1919年(大正8)に小樽高商ロシア語講師、1922年(大正11)大阪外語ロシア語教師、1923年(大正12)京都大学でも教鞭をとりました。日本では言語学・民俗学を中心とし、北海道のアイヌ語と文化の研究や、「おしら様」信仰という東北地方のシャーマニズムの研究、神道、沖縄と台湾原住民の方言やフォークロアの研究、中国北西部の西夏(せいか)の文献的研究をすすめました。ネフスキーは、日本の古語・古俗は列島の縁辺部で残っているという考えから、宮古研究を最初に行った外国人でした。ネフスキーが泊まった「嘉手納」旅館(当時)の近くに「ネフスキー通り」とネフスキーの顕彰碑があります。

                 面積30・53キロメートルの沖縄県南大東島は、役場のホームページによると、「1820年(文政3年)ロシア海軍左官ポナフィディン氏、南大東島を発見。サウスボロジノ島として命名する。」と明記されています。ボロジノとは艦船ボロジノ号にちなんだもの。1885年(明治18)日本が北大東島と共に領有を諸外国に宣言、沖縄県に編入されました。人口1277人。世帯数655世帯。サンゴの島で那覇空港から南大東島へは約1時間です。     

                   又、北大東村のホームページによると、「1820年、ロシアの艦船「ボロジノ号」が大東諸島を発見し、船の名にちなんで「ボロジノ諸島」と命名した。1853年、ペリーが水資源調査の帰途、南・北大東島を「ボロジノ諸島」と確認し、位置を測定した」と書かれています。北大東村は人口568人、世帯数は289世帯です。那覇空港から北大東島へは1時間10分です。